私達には価値がある〜沖縄戦終結の日に思う
昭和20(1945年)6月23日は大東亜戦争沖縄戦の終結の日でした。今回は、沖縄戦でたくさんの傷ついた方々を看護してきた少女達に、思いを馳せたいと思います。
- 沖縄戦で看護隊として戦った少女達
- 戦争は人間の選択肢を奪う、そして、素の人間とは何かを浮かび上がらせる
- 私達には価値がある
- 私には価値が無いという誤解
- 「価値があるあなた」がいる日本だから価値がある
- 参考文献
沖縄戦で看護隊として戦った少女達
物書きで、現在、参議院議員の青山繁晴さんは、折に触れて白梅学徒看護隊をご紹介なさっていますが、今回は『ぼくらの祖国』※を引用させて頂きます。
硫黄島を占領した翌朝に、アメリカ軍はさらに沖縄の慶良間諸島に最初の足を踏み入れた。
わたしたちの、わずか60年まえの先輩は、侵略をそこで食い止めようと戦い、頭を割られ、腸がはみ出た。
それを看護してくれたのは、沖縄の15歳前後の少女たちであった。学徒看護隊だ。
学徒看護隊は、ひめゆり部隊の名でよく知られている。覚えられている。
しかしほんとうは、ひめゆり部隊のほかに学徒看護隊は8つあった。ひめゆり部隊は、沖縄の第一高等女学校と師範学校女子部の生徒たちでつくり、たとえば第二高等女学校の生徒は白梅学徒看護隊をつくった。
〜中略〜
新人記者のとき初めて沖縄に行き、個人タクシーの運転手さんが「あなたが記者であるのなら」と、ぼくを連れて行ってくれたのが白梅の塔だった。白梅とは、沖縄第二高女の校章である。
現在の塔とは違い、ちいさな手造りの石積みの裏に、カギのない蓋があり、そこに真っ白な遺骨が詰まっていた。
娘がそこのガマ(沖縄では壕をガマという)で自決したことを認めない父や母やおじいさん、おばあさんが、夜半にやってきて蓋を開き、遺骨に触れているから、カギを作らないのだと聞いた。
塔に向かって右の奥には、自決壕が口を開いている。恐ろしかった。何年、何十年とお参りを続けても恐かった。小雨の日には特に恐ろしかった。
しかし恐ろしくても、ウチナンチュ(沖縄県民)であれ、ヤマトンチュ(本土のひと)であれ、その自決壕の上に立って手を合わせてくださるだけで、壕の中の少女たちは、自分たちの死が犬死ではなかったことを知る。
あなたの、きみの姿を見て、祖国が滅びてはいないことを知るからだ。
わが国の先輩達は、ここで、侵略を食い止めようと戦い、15歳前後の少女達は看護をしてくれていた。白梅の塔は、少女達の看護隊の1つである白梅学徒看護隊の自決壕にあり、以前は、鍵もなく、娘達の自決を受け入れられない家族達が訪れていたが、よりたくさんの人が、白梅の塔で手を合わせることで、命を失っていった少女達に、祖国が滅びてはいないと伝えることが出来るだろう、と青山繁晴さんは伝えてくださっています。
戦争は人間の選択肢を奪う、そして、素の人間とは何かを浮かび上がらせる
私は戦争について考える時、いつも思うことがあります。人間、いろいろな人がいます。看護が合うという人もいるでしょうし、掃除、料理、裁縫、洗濯が得意な人もいるでしょうし、勉強、スポーツ、芸術などの才能がある人もいるでしょう。その中には、戦争では、上手く発揮できない才能だったり、発揮する機会に巡り合えない才能も多かったのではないかと思うのです。自分の才能が発揮できない、役に立てないと感じることは、とても辛いことです。お金が無くなっていく、物資が手に入らなくなる、自分の命を守るのに精一杯になる、戦争は、人間の選択肢を奪うものだと私は感じます。
一方で、お金が無くなっていく、物資が手に入らなくなる、自分の命を守るのに精一杯になるという環境は、生きているだけでいい、命があって出会うことが出来るだけで嬉しい、思い切り自由に過ごしたいという自分の欲求など、素の人間とは何か?を強く感じる環境であり、その体験をなさった方々だからこそ、心から、生きて、命を繋ぐことが素晴らしいのだと、生きている命を優しい目で見つめてくださったのだと思います。
私達には価値がある
翻って、今を生きる私達は、それだけ、日本を続けて欲しいと願われていること、生きて、命を繋ぐ大切な大切な価値のある存在だということを、受け入れることが出来ているのでしょうか。
私達には価値がある、そう聞くだけで、身体がムズムズしたり、無かったことにしたくなる方もいるかもしれません。もしも、何か嫌な気持ちになったのなら、それは、私に価値があるということに、大きな抵抗感があるのかもしれません。
私には価値が無いという誤解
遠慮するべきだと思う方もいるかもしれませんが、私達には価値があるということに遠慮することは、日本を続けることに遠慮することになり、日本が無くなってしまうということになってしまいます。それは、日本を続けたい、繋ぎたいと命をかけてきた方々が望んでいることではないことは明らかです。
もし、日本は無くした方が良いのだと思っている人がいるならば、これまでの人生で、どれだけ自分はいない方が良い、自分には価値が無いと思ってきたのでしょう。実は、日本を無くした方が良いという考え以前に、心の中にあった気持ちは、自分はいない方が良い、自分には価値が無いという気持ちです。小さな子供は、わが国はここが悪い、など言えないので、私はここにいない方が良いんじゃないかなと感じる経験を先にしています。でもそれはとても辛く、辛いけど我慢して歯を食いしばって生きて、辛くてどうしようもなくなって、日本ごと無くなれば良いと思ってしまったようです。
しかし、自分には価値が無いということこそが誤解です。私達の祖先は、あなたに大切な価値があると言って、命をかけてきたのですから。そんなこと頼んでないとか、あの祖先が悪いとか言っても、そんな全ての日本人を包含しながら、およそ2000年間、受け継いできた日本の祖先の気持ちを変えることは出来ません。
「価値があるあなた」がいる日本だから価値がある
私達は良い意味で諦めて、白旗を揚げて、私には価値があることを受け入れるしか、選択肢はないようです。それに、私はここにいない方が良いんじゃないかなと感じたのは、あなただけではありません。多くの人が、私はいない方が良いのかなという気持ちを経験しています。それでも、あなたに大切な価値があると言って、命をかけてきた気持ちを受け取っていいのです。
大切なことなのでもう一度言います、あなたには価値があります。1人ぼっちではありません。「価値があるあなた」がいる日本だから価値があります。
参考文献
※青山繁晴”永遠の声の章 十七の節” ぼくらの祖国,扶桑社,2011,p135-p137