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勇気を持って行動するとは?〜シゴキをやめた日本海軍中佐

5月27日は海軍記念日でしたが、日本海軍について、私は何も知らないなと感じ、勉強しています。

 

tsuzukeyonihon.hatenablog.jp

 

 

 

帝国海軍に入隊する方法

まず、どうしたら海軍になれるのかを知らなかったので、Wikipedia情報※1,2ではありますが、調べてまとめてみました。

海軍では、大きく分けて、海軍兵学校から、士官と呼ばれる分隊長以上になる方法、海兵団から、一般兵になる方法、海軍航空隊から海軍飛行予科練習生になり海軍航空兵になる方法、商船学校から海軍予備員になる方法があったようです。

 

工藤艦長が見た兵学校と海軍

そして、先日、紹介した恵隆之介さんの「敵兵を救助せよ」※3には、当時の日本の海軍兵学校教育や海軍の様子も書かれています。

工藤俊作は明治41年4月に屋代尋常小学校に入学。明治43年4月15日に佐久間艦長乗り組む第六潜水艇の事故があり、当時屋代尋常小学校では、佐久間艦長の話を朝礼で全校生徒に伝え、責任感の重要性を強調し、呉軍港に向かって全校生徒が最敬礼した。

工藤はこの朝礼の直後、担任の先生に「平民でも海軍士官になれますか」と尋ねている。先生は「なれる」と言い、米沢興譲館中学への進学を勧めた。この時代、小学校の身上書には「士族」か「平民」かを記載する欄が設けられていた。

〜略〜

日本の兵学校の凄さは、欧州のそれが貴族の子弟しか入学できなかったのに比べて、学力と体力さへあれば、誰でも入学できたことである。しかも、入学資格は、中学4年修了程度とされていたが、戦前義務教育課程であった高等小学校しかでていなくとも(現在の中学校卒業相当)、専検に合格さえすれば受験できた。

〜略〜

海軍は徴兵制の戦前においても一水兵に至まで志願制で、海軍独特のリベラリズムの気風があった。とくに海軍兵学校は「士官たる前に紳士たれ」とされ昭和20年10月に閉校するまで継承されたライフスタイルは、長髪をゆるされ、英国流で洗練されていた。

〜略〜

海軍兵学校校長に着任した鈴木(貫太郎:ブログ主追記)は、大正8年12月2日、兵学校の従来の教育方針を大改新を敢行する。

•鉄拳制裁の禁止

•歴史および哲学教育強化

•試験成績公表禁止(出世競争意識の防止)

工藤たち51期生はこの教えを忠実に守り、鉄拳制裁を一切行わなかったばかりか、下級生を決してどなりつけず、自分の行動で無言のうちに指導していた。

〜略〜

昭和19年夏、海軍兵学校を訪ねた鈴木は、時の井上也美校長に「井上君、兵学校教育の本当の効果があらわれるのは、君、20年後だよ、いいか、20年後だよ」と繰り返し言っている。

工藤俊作は駆逐艦「雷」の艦長として、昭和15年11月1日として着任する。工藤は駆逐艦艦長としてはまったくの型破りで、乗組員たちはたちまち魅了されていった。

着任の訓示も、「本日より、本官は私的制裁を禁止する。とくに鉄拳制裁は厳禁する」というものだった。乗組員たちは、当初工藤をいわゆる「軟弱」ではないかと疑ったが、工藤は決断力があり、当時官僚化していなかった海軍でも上に媚びへつらうことを一切しなかった。

工藤は日頃士官や先任下士官に、「兵の失敗はやる気があってのことであれば、決して叱るな」と口癖のように言っていた。見張りが遠方の流木を敵潜水艦の潜望鏡と間違えて報告しても、見張りを呼んで「その注意力は立派だ」と誉めた。このため、見張りはどんな微細な異変についても先を争って艦長に報告していたという。

 

遭難していたイギリス海軍兵を救助した工藤艦長は、小学生の時に、第六潜水艇事故の佐久間艇長の話を聞いて海軍士官を目指したそうです。

 

tsuzukeyonihon.hatenablog.jp

 

そして、大正8年鈴木貫太郎海軍兵学校校長終戦時に内閣総理大臣になる)によって、兵学校は、鉄拳制裁禁止、歴史や哲学の強化、成績発表禁止となったところで、工藤艦長は平民だったが関係なく入学、この教えを守り、かと言って、上司に媚びることもなく、海軍士官となった後も乗組員たちから慕われていたようです。

 

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鉄拳制裁される側は恐怖と怒りを覚える

工藤艦長が慕われていたということは、逆に、他の場所では鉄拳制裁があった、少なくとも、大正8年以前は行われていたからこそ、禁止の命令が出たと考えられます。

例えば、鉄拳制裁される側からすると、理不尽さに怒りを覚える人がほとんどだと思います。戦場に出れば、1つのミスが、自分だけでなく隊員全員の命取りになる可能性があることは理解出来ますが、鉄拳制裁されるという恐怖から、間違いを認められず嘘をついたり、身体が緊張して実力が発揮出来なかったり、恐怖による緊張を通り越して暴走してしまったりという負の面を生み出すことは、現代の私たちからも容易に想像出来ることです。

 

鉄拳制裁する側は自分の指導力に不安を覚える

逆に、鉄拳制裁する側からすると、これまで制裁ありきで指導していたのに、急に止めるとなると、どう指導していいかわからないと感じた人はいたのではないかと思います。自分が制裁を受けて成長してきたのだから、その方が成長するだろうとか、制裁を使って教える方法しか知らないとか、お互い辛い制裁を受けてきた仲間ということでまとまりたい、と無意識に感じていたかもしれません。

また、制裁なしで指導出来るのか、部下は制裁がなくても成長すると信頼していいのか、自分が制裁に怒りを覚えたように部下も怒りを覚えるだろう、そもそも自分は部下を統率し死なせずに出来るのかと、自分の上司、指導者としての能力に不安を感じる人は多かったかもしれません。現代こそ、上司に必要な心得を、ネットで簡単に検索できますが、当時は、死と隣り合わせの中で、上司としての不安だとは理解出来ずに、ただ漠然と感じていて、鉄拳制裁で紛らわせていたのかもしれません。

 

不安と信念の間で揺れながら信念を貫くことが、勇気を持って行動しているように見える

そんな中で、工藤艦長が「鉄拳制裁は厳禁する」「やる気があっての失敗は決して叱るな」「(失敗に対して)その注意力は立派だ」と、周りの人がやっていないことを実行してきたことは、とても勇気のいることだったと思います。

そして、自分の中にも、鉄拳制裁したい気持ちはある、指導力がないと不安を感じる、部下を信じていいのか悩む、そんな気持ちがあることを素直に認めて、それでも、鉄拳制裁はせずに、良いところを褒める、受け入れられないことは、ハッキリと伝え続けると、何度も心揺れながら諦めずに実行することが、実は、外から見て、勇気を持って行動しているように見えるものです。

言論、情報統制が行われ、嘘が本当、本当が嘘になってしまっている現代で、不安も信念もあっていい、不安と信念の間で揺れながら、それでも信念を貫くことが、勇気を持って行動しているように見えると、改めて気づけたことで元気をもらえました。工藤艦長と工藤艦長を紹介して下さった恵隆之介さん、この場を与えて下さったはてなブログの皆様、に、心より感謝いたします。

 

参考文献

※1兵(日本軍),Wikipedia(2021/6/8)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/兵_(日本軍)

 

※2海軍飛行予科練習生,Wikipedia(2021/6/8)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/海軍飛行予科練習生

 

※3恵隆之介,「敵兵を救助せよ」あらすじ,武士道精神.com(2021/5/28)

http://www.bushido-seishin.com/outline/story.html