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初心者保守の手探りブログ。日本国、日本文化を大切にすることは、それぞれの国の、それぞれの文化を大切にすることに繋がる。

世界は共存共栄ではなく、弱肉強食の生存競争をしていると演説した日本人

今日は、昭和15(1940)年2月2日の斎藤隆夫衆議院議員による、衆議院第75回議会民政党代表質問で行われた、支那事変処理に関する質問演説※の一部を紹介します。

ちなみに、この演説は聖戦を冒涜しているとして、これから紹介する部分を含む3分の2が速記録から抹消された上に、衆議院の圧倒的多数で斎藤議員の除名が可決するという、議会政治、言論の自由の冒涜と言えるような事態になってしまいました。

 

 

国家競争とは弱肉強食の力の競争であり、共存共栄など存在しない

国家競争は道理の競争ではない。正邪曲直の競争でもない。徹頭徹尾力の競争である。(拍手)世にそうでないと言う者があるならば、それは偽りであります、偽善であります。我々は偽善を排斥する。あくまで偽善を排斥してもって国家競争の真髄を掴まねばならぬ。国家競争の真髄は何であるか。曰く生存競争である。優勝劣敗である。適者生存である。適者即ち強者の生存であります。強者が興って弱者が亡びる。過去数千年の歴史はそれである。未来永遠の歴史もまたそれでなくてはならないのであります。(拍手)この歴史上の事実を基礎として、我々が国家競争に向うに当りまして、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ。自国の力を養成し、自国の力を強化する、これにより他に国家の向うべき途はないのであります。(拍手)

かの欧米のキリスト教国、これをご覧なさい。彼らは、、、。

(「もう宜い」「要点要点」と叫び、その他発言する者多し)

議長(小山松寿君)静粛に願います。

斎藤隆夫君(続)彼らは内にあっては十字架の前に頭を下げておりますけれども、ひとたび国際問題に直面致しますと、キリストの信条も慈善博愛も一切蹴散らかしてしまって、弱肉強食の修羅道に向かって猛進をする。これが即ち人類の歴史であり、奪うことの出来ない現実であるのであります。この現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、、、。

(小田栄君「要点を言え、要点を」と叫び、その他発言する者多し)

議長(小山松寿君)静粛に願います、小田君に注意致します。

斎藤隆夫君(続)現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。

 

国家競争の真髄は、生存競争、力の競争であり、道理、正義、共存共栄、世界平和などは偽善と言える。何故なら、十字架の前に頭を下げている人も、国際問題では弱肉強食の修羅道に邁進するのが、人類の歴史であり現実だからである。だから、日本が国家競争に向かうのならば、自国の力を養成、強化し、自国本位を徹底する以外に道はない。聖戦という、国家競争の真髄を外れた偽善によって、国民に犠牲を出し、国家の道を誤れば、政治家は、死んでもその罪を滅ぼすことは出来ない、と斎藤隆夫議員は伝えたかったようです。

 

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全ての人の幸せを願おうとする日本人

ネット上にある平和に関するアンケートをいくつか見てみても、今の日本人は大多数の人が世界平和を願い、平和のために何かしたいと考えていることがわかります。とても純粋に人間の理想を体現しようと努力することは、誰にでも出来ることではなく、だからこそ素晴らしいと思います。それは、もしかすると、天皇陛下が、日本人の幸せを願っていらっしゃるからこそ、同じことをしたいと思った先人達が、気持ちを受け継いできたのかもしれません。

 

日本人と世界の人々の価値観のズレ

人間は、つい、自分と相手は同じ考えを持っているだろうと思い込むところがあります。そのため、日本人は「世界の人々は、平和のために、戦わず、相手のことを考え、努力するだろう」と思い込んでしまうことが多いと思われます。しかし、もし、日本人以外の人は「世界の人々は、自分の平和のために、武器、頭脳、お金、性的な魅力、あらゆるものを使って戦っている」と思い込んでいることが多いとすれば、そこには、かなりの認識のズレがあるようです。

 

人間臭さも理想論も自分の中にあると知る

相手の幸せが自分の幸せと思って、相手に近づいていったら、捕らえられて身ぐるみ剥がされて人質にされて売られてしまった、そこで初めて周りを見渡してみたら、皆、武器を持って鎧を着て、睨みあったり、ニコニコしながら武器を向け合ったり、腹を探ったりしている世界だった。

そんな風に考えてみると、世界は弱肉強食と考える人達は、実に人間臭いとも感じました。人間2人いれば、考え方の違いも出てくるし、争いがあってもおかしくない、3人いれば派閥も出来る。そんな人間の心理を認めているからこそ、素直に生存競争してしまうのかもしれません。

その視点では、平和のために相手のことを考えるという行動は、良い子過ぎる、人間離れした理想論のようにも感じます。どちらかを選ぶということではなく、人間は完璧ではないから、平和のため、相手のために理想論も語るけど、自分の生存をかけて戦いもする、どちらも自分の心の中にあると認めている方が、しなやかで強いのではないかと思います。

 

世界は弱肉強食だと頭に入れておく

このことから、私たち日本人が注意すべき点は、世界の大多数の人が「全ての人間は、自分の平和のために、あらゆるものを使って戦う生存競争、弱肉強食の世界に住んでいる」と感じているということを頭に入れて、世界の人と付き合う必要がある、ということだと思います。平和を願う気持ちを捨てる必要はないですが、世界は弱肉強食だと考える人もたくさんいるということは、覚えておく必要があります。

 

弱肉強食の最前線で戦っている人がいる

また、今すでに、世界は弱肉強食だと言う人達と向き合い、戦っている日本人がいることを知っておくことも大切だと思います。日本人の平和を願う気持ちを守るために、最前線で睨み合っている人、言い合いをしてる人、その様子を伝えてくれる人、日本を続けるために戦って下さっている方々に敬意を表したいし、戦って疲弊しているかもしれないことを思いやりながら、応援したいと思います。

斎藤議員は、国会の場で、世界は共存共栄や世界平和のためではなく、弱肉強食の生存競争をしている、このように価値観が異なる国と戦った場合にどう収束させるのか、政府、政治家が責任を持って決断しなければ、国民が死んでいくばかりだ、と実情を伝えるという形で戦っていました。当時は、新聞に議会演説の全文が掲載されたようなので、日本国民に広く明らかにし、戦うとはどういうことなのか、その覚悟を促したかったのだろうと思います。その言葉は、今の我が国にもそのまま通じると感じますし、その気持ちは、時間を超えて刺さるものがあります。

この斎藤隆夫議員の演説は、全文はとても長いのですが、ネット上に公開している方もいらっしゃるので、我が国の先達が何を想い演説したのか、読んでみて下さい。

 

 

 

参考文献

斎藤隆夫,回顧七十年,中公文庫,中央公論社,昭和62(1987)年